2009年7月30日
ライオンズの思い出
永野 貞一
松山中央ライオンズクラブは、昭和39年、先輩方に憧れた30?40代の若き起業家たちによって、松山で3番目に結成された。戦前からの名門からなるホストライオンズ、2世世代の道後ライオンズと大きく違ったのは、戦後の何もない中から自力で企業を立ち上げ育てていったメンバーが多く集結していた点である。奉仕活動やすべての活動において、抜群の行動力と実行力があるクラブとの定評があった。今は亡きプランタンの石井さんの縁で毎年絵画の即売展を開き、何百万にのぼる収益で活動資金を調達したのも良き思い出の一つ。何事においても口だけでなく行動が伴う、力強いメンバーだった。
ライオンズのバッジをつけていると銀座の高級クラブでもツケがきいた(笑)と言うほどの「信頼」は我々の誇りである。その誇りと使命をひしひしと感じていた結成当時のメンバーは、とにかく情熱的で活動熱心だった。ビジネスの体験談を語り合ったり、会の運営にも積極的に参加したり、例会に出席するだけでも多いに勉強になったものだ。したがって昔の出席率はほぼ100%。出席できない者は必ず自ら届け出ていたので、出席をとる必要すらなかった。食事がたくさん余るような現在の例会をみるにつけ、一抹の寂しさを禁じ得ない。今後若い世代には、結成当時の熱い想いを引き継ぎ、会を盛り上げて頂きたいと思う。
部屋で寝転んでテレビを見ていてもいいような歳にはなったが、やはり人間それではいけない。人と接し皆の話を聞くことが、私の元気の源なのである。今後もできる限り顔を出し、クラブの益々の発展を見届けたい所存である。
