ライオンズの思い出⑪ 宮崎 陽允

 ライオンズの思い出
宮崎 陽允
 もう数十年前の事、松本市に研修旅行に出かけた時の事だ。西予市宇和町に在る、開明学校(明治十五年開校)の姉妹校である、開智学校(明治六年開校)が松本市に在るはず、折角ここ迄来たのだから見学しようと云う事になった時の事。両校は姉妹学校の提携を結んでいる様に、外見、教室等は愛媛の開明学校と瓜二つで、愛媛より送られた牛鬼のみこしを、懐かしく見ながら各教室を見学している時、ふと眼に留まったのは、子守学級の写真であった。貧農の娘が奉公に出された「おしん」にそっくりの光景がそこにあり、思わず立ち止まってしまった。ねんねこで赤ちゃんを背負い、髪の毛が赤ちゃんの顔に掛らぬ様に手拭いで髪の毛を包み、子守をしながら先生を見つめる真剣な眼差しを見た時、奉公に出されても勉強したい、学問を学びたい気持には頭が下る思いがした。
 徳川幕府から明治に文明開化が叫ばれた時、産業振興と国民皆教育、義務教育の徹底が明治維新の大きな目標であった。徳川幕府の名残りが教育界にもあり、武士の男子、町人の金持等は教育が簡単に受けられたが、「おしん」の様な貧農の女子には教育を受けることは程遠い物があった。しかし日本人は教育に関しては諸外国に比して熱心であり、親はどんなに苦労しても、子供の教育には身を粉にして働いて学校に行かせたものである。
 ヨーロッパの人は集落を造る時、家屋の次に教会を建てるが、日本人は家屋の次は学校を建てる。その結果どんな小さな部落でも学校とお寺の墓場は必ず有る。学校の先生は優秀な人材が多く、生徒の教育に誇りを持っている。学校の教育制度も、寺子屋式、師範学校式、戦後のPTAの米国式と大きく変遷したが、どれも一長一短であるが、現在の日本は文盲の率においては世界一の文盲が少ない国である。カタカナ、ひらがなを漢字より発明したのは日本人である。日本の教育に誇りを持ち、そういう経験からライオンズに入会し、青少年の教育育成のアクティビティーには特に強い思い入れがあった。

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