5-3レリーフ秋山真之

秋山真之
秋山真之は1868年1月7日松山藩士・秋山久敬の五男として現在の松山市歩行町に生まれた。秋山好古の弟。海軍兵学校へと進み、首席で卒業する。日露戦争では、連合艦隊の作戦参謀となり、日本海海戦でのバルチック艦隊撃破に大きく貢献した。その時の電文「天気晴朗なれど波高し」は良く知られている。連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、日本海軍の戦術を考え抜き、作り上げた真之を「智謀湧くが如し」と称賛した。1918年2月4日満49歳で死去。