5-1レリーフ正岡子規

正岡子規
正岡子規は1867年9月17日松山藩士・正岡常尚の次男として現在の松山市花園町に生まれた。松山中学から東京第一高等中学校へ進学した。22歳のころ肺結核のため喀血、そのころから「子規」のペンネームを使い始め、本格的に文学を志す。29歳のころから脊椎カリエスという難病と闘い、最晩年まで俳句・短歌・文章などの各ジャンルにわたる文学の革新に取り組み、日本の近代文学史上大きな足跡を残した。1902年9月19日満34歳で死去。その文学論は夏目漱石、柳原極堂、河東碧悟桐、高浜虚子など、多くの人々によって引き継がれ、現代の俳句や短歌、文章の礎になっている。