NO.453 小説「坊っちゃん」12景その⑫

今回が最終回である。
漱石はこの小説 「坊っちゃん」 を明治39年、39歳の時に俳誌 「ホトトギス」 に発表した。
編集長である高浜虚子の薦めによることは既に書いたとおりである。
この作品を発表する前年には、「我輩は猫である」をはじめ幾つかの短編を発表し好評を博している。
漱石は明治28年4月に愛媛県尋常中学校 (松山中学) の教諭に就任、 翌年29年4月まで在職した。
したがって漱石の実際の松山での生活は1年であったが、小説の中の坊っちゃんは、 7月に東京物理学校を卒業後、9月には 「四国辺りのある中学校」 に赴任し、 わずか1、 2ヶ月で辞めたことになっている。
あまりにも沢山の事件が勃発するものだから、もっと長く滞在していたように感ずるのだが、よく読んでみるとまったく短い期間の設定になっているのに気づく。
さて赤シャツと野だいこに鉄拳制裁を加え、勧善懲悪を実行した 「坊っちゃん」 は、その結果として学校を去ることとなる。
二人は奸物どもに制裁を加えた翌日の夕方6時の船で四国を後にする。
「その夜おれと山嵐は、この不浄の地を離れた。
船が岸を去れば去る程いい心持がした。
神戸から東京までは直行で、 新橋へ着いた時は漸く娑婆へ出た様な気がした」。
 四国辺のある町すなわち松山は、 不浄の地であり、 東京は娑婆であるという。
何だか複雑な気持ちだが、 地の果てにあって猿と人とが半々に住んでいると書かれた延岡よりはまだましか。 それにしても江戸っ子漱石は口の減らない男ではある。 (完) 
               山本 力雄

目次